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矢部川紀行(連載5)
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    矢部川流域の伝統的祭り 
     矢部川流域は古く、多彩な歴史に彩られた地域である。その面影は今も各地に残る多くの伝統的祭りに息づいている。この度は矢部川流域の伝統的祭りを紹介して矢部川紀行の最後を飾ることにした。各地の祭りを実際に見ていただいて、この地域の歴史と文化を実感いただければ幸いです。

    1.大杣公園祭(矢部村 10/8)
     南北朝時代(1336年)、南朝再興を目指して九州を転戦した後征西将軍良成親王の御霊を慰める行事。 命日とされる10月8日に、村民たちが同公園内にある御陵墓前に集まり、公卿唄を奉唄し、雅楽に合わせて「浦安の舞」を奉納。
    2.八女津媛神社浮流(矢部村 11月)
     5年に一度氏子によって行われる。矢部祭りで矢部村の子供たちが披露。
    3.風流はんや舞(星野村 麻生神社 9月)
     麻生神社(麻生池)に伝わる舞楽。大池の水神崇拝の晴雨祈願・風止めの祭りとして遠く弥生時代を起源と伝えられる。
    4.田代の風流(黒木町 八龍神社 12/8)
     化粧をした男衆などが沿道を八龍神社まで練り歩く。
    5.五条家御旗祭り(黒木町 9/23)
     南朝方懐良親王に随った五条家に伝わる「金烏の御旗、五条家文書」などを披露
    6.松尾弁財天風流(立花町 4/5)
    7.滝の宮春秋の大祭(八女市上陽町 3/28、10/28)
     納又滝のそばにある滝宮不動尊は縁結びの神様として崇拝される。
    8.万灯流し(八女市上陽町 8/16)
    9.童男山ふすべ(八女市山内 1/17)
     徐福がこの地で亡くなったという故事に由来し、徐福の霊を慰める祀り。
    10.灯篭人形(八女市福島 9月秋分の日の前後3日)
    11.土橋八幡宮神幸行事(八女市福島 10/17)
    12.岩崎の子ども川まつり(八女市 7月上旬)
     山ノ井川沿いでは五穀豊穣と水難よけを願って川まつりが行われますが、岩崎の川まつりは子供たちが主体で行う
    13.久富盆綱引き(筑後市久富 熊野神社 8/14)
     目蓮尊者が地獄に堕ちた母を綱で引き揚げたという伝えにならった行事。地区の小学生たちが全身にススを塗り、地獄の釜番に扮して大綱を担いで練り歩く
    14.熊野神社鬼の修正会(筑後市熊野 1/5)
    15.水田天満宮稚児風流(筑後市 8/25)
    16.幸若舞(みやま市瀬高町 大江天満宮 1/20)
     幸若舞は五穀豊穣を願い奉納される日本最古の舞楽で、大江の幸若舞は今に伝在する唯一の幸若舞
    17.ドンキャンキャン(みやま市瀬高広田 八幡神社 11/3)
     芳司広田八幡宮と本郷聖母宮間の送迎の御神幸行事、行列の鉦太鼓の音から名がついた。
    18.大人形(みやま市瀬高町 上庄八坂神社 7/24、25)
    19.粥占い御試祭(みやま市高田町 江浦八幡神社 2/15)
     粥に発生したカビの色や形状からその年の気象や農作物の作柄を予測
    20.海津御田植祭(みやま市高田海津北阿蘇田)
    21.沖端水天宮(柳川市沖の端 5/3〜5)
     水天宮の春の大祭、舟舞台が掘割を移動しながら囃子や芝居を奉納し子供を水難から守る
    22.中島祇園祭り(柳川市中島 八剣神社 7月第4土曜日)
     踊り子を乗せた踊り山や獅子山、武者行列で賑わう
    23.沖の石太鼓祭り(柳川市 柳川橋横川下り水路 2年に一度)
     柳川藩の出陣の時に打ち鳴らされた沖の石太鼓
    24.三柱神社秋の大祭(柳川市 三柱神社 10月上旬)
     京都祇園祭の山鉾を模した「どろつくどん」と呼ばれる山車が町内を練り歩く。
    25.風浪宮大祭流鏑馬(大川市 風浪宮 2/9〜11)
     風浪宮は志賀島神社と同じ安曇氏を宮司とし、有明海の海洋民族の根拠地で、大陸文化の導入や農業や工業興産の基を築き、古来より風浪の難を守護する社として崇拝された。久留米高良大社や水天宮とともに筑後地方の三大祭りの一つ。
    26.風浪宮裸ん行(風浪宮 2/8)
    27.沖詣り海神祭(風浪宮 5月 旧暦4/1)
     筑後川河口沖合に舟行し、汐の干上がった潟上に祭壇を設け、降臨された風浪宮の御祭神を祀る行事

    これでこの連載は終了します。筑後川新聞第57号掲載(2009.02.05)
    (記事、写真:矢部川をつなぐ会事務局長・大隈正登)

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    | news-ccrn | 矢部川紀行 | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    矢部川紀行(連載4)
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      矢部川下流域
       南筑後の田園地帯を流れ下り、緩やかになった矢部川は、千間土居から船小屋の中の島公園を過ぎ、松原堰で柳川の掘割に水を供給する沖端川を分流した後、瀬高堰に至る。瀬高堰は有明海の潮の遡上を止める堰で、これより下流は有明海の干満の影響を受ける感潮河川となり、熊本県境の山間からみやま市中を流れてきた飯江川、楠田川を合せて有明海に出る。
       中の島公園あたりから矢部川は左岸にみやま市、右岸に柳川市に広がる田園地帯の中を大きく蛇行しながら緩やかに流れる。この蛇行した河川景観を楽しみたい方は船小屋の中の島公園から左岸を下り、耕作橋を右岸に渡り、右岸を川沿いに筑後川河川事務所矢部川出張所の横から瀬高堰を通り、中島漁港あたりまでのドライブをお勧めしたい。ただし土手の道路は狭いので小型車が望ましい。
       松原堰の右岸一帯に整備中の筑後広域公園や公園から望む景観も素晴らしい。中島漁港あたりから河岸には無数の漁船が係留されており、漁船の列を眺めながら河口に向かって進むと、両岸に広大な大和干拓地が広がり、更に堤防の道を行くと先端部の大和干拓記念碑にたどりつく。ここからは眼前に有明海と多良岳や雲仙岳の雄大な景観が楽しめる。
       有明海の大きな干満差を利用した干拓は特に江戸期に発展し、開と付いた地名や堤防跡に曲線状に民家が立ち並ぶ集落や魚鱗状の地形など干拓地ならではの景観である。松原堰から分流した沖端川は柳川の北、沖端漁港、西側の縁を通り有明海に注ぐ。沖端川の途中から二ツ川が分流し矢部川の水を掘割に引く取水路となり、沖端漁港と沖端川は掘割の排水路の機能を果たす。掘割は柳川のまちの始まり、発展の礎であり、掘割なくして柳川は語れない。柳川の人々の日々の生活から祭り、町おこしの全てが掘割に支えられていると言っても過言ではない。
       季節により景色を変える掘割の川下り、今も町中に残る古い武家屋敷、北原白秋生家、掘割の水辺や水循環の工夫など柳川市内は見どころいっぱいである。
       ところで柳川の掘割や有明海の干拓地は矢部川の水の終点である。矢部の源流から流れ出し、三ヶ名廻水路などの廻水路を経て下流にとどいた矢部川の水は松原堰から沖端川、二ツ川を経て柳川の掘割にたどりつき、川の旅を終える。また掘割の水は沖端漁港から沖端川を経て、有明海の干満を利用しながら排水される。 遠く江戸期に完成を見たこの導水システムと排水システムは矢部川の誇るべき歴史遺産であり、この矢部川の水の物語はこれからも後世に語り継ぐべき貴重な歴史だと思う。
      筑後川新聞第56号掲載(2008.12.03)
      (記事、写真:矢部川をつなぐ会事務局長・大隈正登)
      | news-ccrn | 矢部川紀行 | 11:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      矢部川紀行(連載3)
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        矢部川中流域
         八女市柳島で星野川と合流した矢部川は、八女南部の山塊から流れてきた辺春川、白木川を合わせ、飛形山から女山の山麓を船小屋の中の島公園あたりまで、八女扇状地を急峻に流れ下り、有明海の潮が溯上する下流域に至る。この中流域の矢部川(と星野川)には古来多くの堰と用水路が築かれ、筑後川と有明海に囲まれた南筑後の広大な水田地帯を潤し、伝統文化や産業を育くんできた。
         八女市北縁の丘陵部には、徐福伝説のある童男山古墳や古代の筑紫の君磐井の墓といわれる石人石馬に守られた岩戸山古墳などの古墳群が東西に連なり、南側を流れる矢部川には江戸期有馬藩が築いた山の井堰、中の井堰、花宗堰などの昔ながらの石積み堰がある。八女市の中心福島は近世初頭の福島城下町に始まり、在方町として栄えた伝統の白壁の町なみである。市内には手漉き和紙、提灯、仏壇など多くの伝統工芸の工房があり、八女伝統工芸館で一堂に展示している。矢部川河畔の水辺をたどり、地域の生い立ちと川の歴史に思いをはせ、伝統工芸に親しみ、灯篭人形などを楽しむのも一興である。
         立花町は矢部川の南岸から飛形山一帯の地域で、谷川の水を集めた辺春川、白木川が矢部川に注ぐ。矢部川河畔には柳川藩の田尻惣馬が築いた千間土居のきれいな楠林がある。町の中心部兼松には国指定文化財の松延家住宅があり、辺春川上流には黒岩橋を始め多くの石橋があり、白木川上流には中世の周防の守護大名大内家ゆかりの旧大内邸がある。
         広川町は久留米から八女への入口にあり、伝統工芸久留米絣が盛んな町である。中央部を流れる広川は大善寺で筑後川と結び、八女市境の丘陵には石人山古墳がある。
         筑後市の南の境界は矢部川と沖端川であるが、みやま市域が一部北岸に入り込んでいる。これは沖端川をめぐる久留米柳川両藩の歴史の名残で、船小屋、中の島公園、松原堰、沖端川、朝鮮松原など筑後広域公園一帯は矢部川の歴史の舞台である。他に筑後市赤坂のハゼの紅葉も見逃せない。
         みやま市域で矢部川はぐっと緩やかになり、海が近くなる。古代山城といわれる女山の神護石や武装石人が出た石神山古墳、海陸交通の利便の良さなど山門邪馬台国説もある古代のロマンに満ちた地域である。堰の多い矢部川では水運は瀬高まであったようだ。
        筑後川新聞第55号掲載(2008.10.06)
        (記事、写真:矢部川をつなぐ会事務局長・大隈正登)

        | news-ccrn | 矢部川紀行 | 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        矢部川紀行(連載2)
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          星野川上流域
           星野川は星野の熊渡山一帯を水源とし、星野から上陽の谷水を合わせながら山間を抜け、八女市山内で平野部に流出、八女市祈祷院で矢部川に合流する全長28.5kmの矢部川最大の支流である。山内で山の井堰で分流する山の井用水は八女市、筑後市。三潴郡を灌漑し、城島町で筑後川に注ぐ全長24.5kmの筑後川水系の河川となっている。
           星野は平地が少なく多くの石積の棚田が造られ、日本の棚田百選に指定された広内・上原の棚田をはじめ、土穴、鹿里、椋谷、二双、合瀬耳納の棚田などが風景に彩を添えている。「星と茶」がまちおこしの柱で、村の中心部に近い星のふるさと公園一帯には星の文化館、茶の文化館、星の温泉館、池の山キャンプ場など公共施設が整い、その一角にある平和の塔には広島の焦土から持ち帰った原爆の火が今日まで絶えることなく燃え続けている。また星野は南北朝の時代、大宰府から高良山、耳納山、八女奥部、菊池につながる南朝の拠点であり、懐良親王ゆかりの大円寺や御墓所がある。その他、星野川の源流である不動の滝や千々谷河川公園、棚田の山道から見下す星野のまちなみの風景など星野の自然は見どころいっぱいである。
           上陽の見どころは石橋と水車である。上陽には今も10以上の石橋があり、中でも星野川にかかる洗玉橋、寄口橋、大瀬橋、宮ヶ原橋は一連から四連の石橋で「ひ・ふ・み・よ橋」の愛称で親しまれている。その中で一番古い洗玉橋は阿蘇の通潤橋を造った名匠橋本勘五郎によって明治26年に築造された。星野川の支流横山川の上流八重谷には2基の水車が動いており、更に上流には県の森林百選に選ばれた納又滝(滝の宮不動尊)がある。急峻な星野川沿いには、かって多くの水車が動いていたが、今は八重谷の2基だけで、線香の原料となる杉葉粉製粉のために動いている。上陽には今も数軒の線香工場があるが、水車と線香工場は地域のエネルギーと資源を活用したエコ産業で、一見に値しよう。
           八女市山内の山の井堰と中の井堰は昔ながらの石積の固定堰で、山の井用水沿いには川祭りや水に親しんだ文化が息づいている。また山の井堰の東の長野地区では岩戸山古墳や石橋に使われている阿蘇凝灰岩を加工した石灯籠づくりが盛んである。堰の北側の山には徐福伝説を伝える童男山古墳がある。
          筑後川新聞第54号掲載(2008.08.01)
          (記事、写真:矢部川をつなぐ会事務局長・大隈正登)

          | news-ccrn | 矢部川紀行 | 02:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          矢部川紀行(連載1)
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            矢部川上流域 
             矢部川は福岡県南の南筑後を流れる県内第三位の河川である。釈迦ヶ岳や三国山が連なる大分、熊本県境の矢部の山塊一帯を源とし、日向神峡谷から黒木町の奥八女の山間部を西流、八女市と立花町に至って南筑後平野に出る。星野川や辺春川などの支流を合わせ、花宗川や沖の端川などを分派し、蛇行しながら南筑後平野を潤し、柳川市を経て有明海に注ぐ。矢部川は源から河口まで61kmと短く、急流で保水能力が低く、他方有明海干拓などによる増大する水需要への対応など先人たちは治水、利水に心血を注ぎ、水を大事にする水文化を育んだ。この矢部川紀行では水源地帯の矢部川上流域と星野川流域、山間部から奔流した急流から平野の川に移る中流域、有明海の潮汐の影響を受ける下流域の4流域に分けて矢部川の自然、歴史、文化、魅力を案内する。

            矢部川上流域
             矢部村から黒木町および立花町にかかる山間部が上流域である。
            釈迦ヶ岳や三国山などの山々に囲まれた水源地日向神渓谷と日向神湖周辺に広がる矢部村は釈迦御前岳のブナ群落や日向神湖畔の千本桜、八つ滝など豊かな自然に恵まれている。また日本書紀にも登場する八女津媛(八女の地名の由来)を祭る八女津媛神社、南北朝時代懐良親王の後の征西将軍であった良成親王の陵墓や都から随身した公卿五条家など南朝武士団が駆け抜けた歴史のロマンに彩られた里である。
             日向神湖から下ると狭い谷あいが続き、黒木の町に入り盆地が開け、さらに下ると対岸は立花町にかかる。日向神湖下のグリーンパル日向神峡や山中渓谷の紅葉、支流笠原川の上流の奇岩に囲まれた「八女茶発祥の地」霊巌寺の景観も見逃せない。また矢部川独特の利水システムである廻水路も上流域の貴重な生きた歴史遺産である。矢部川は久留米藩、柳川藩の藩境になり御境川とも呼ばれたが、両藩は矢部川からの取水に苦心し、多くの堰と水路を築き、自藩の水路の水は自藩の堰の上に落とし、自藩の水(自領水と言う)を究極まで確保する仕組み(廻水路という)をつくり上げた。有馬藩は花巡り廻水路、馬渡廻水路、黒木廻水路、惣川内廻水路を経て花宗川へ水を引き、立花藩は三ヶ名廻水路、込野廻水路、唐の瀬廻水路、柳川用水路を経て柳川城下のために沖の端川に水を引いた。両藩の堰と廻水路づくりは1600年代から延々200年に亘って続いたが、今も往時の姿のまま務めを果たしている。また黒木町は鎌倉時代から天正12年猫尾城の落城まで黒木氏の城下町であったが、筑紫、田中、有馬の歴代国主の豊後別格往環道の整備にともなって市が立ち、江戸時代を通じて久留米藩領の在方町(農村地域における商工業の中心地)として繁栄した。民俗学者の柳田國男も印象を書き残しているが、古い居蔵造りの酒蔵や醤油蔵などが今も町に彩りを添えている。黒木大藤を観賞し、黒木堰や廻水路、南仙橋と回り、白壁の町なみを散策するのもお勧めである。
            筑後川新聞第53号掲載(2008.06.05)
            (記事、写真:矢部川をつなぐ会事務局長・大隈正登)
            矢部川流域地図
            矢部川地図600
            矢部川上流域のの回水路
            矢部川回水路地図

            | news-ccrn | 矢部川紀行 | 02:36 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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